井笠鉄道【後編】記念館と往年の鉄道車両を目指して
ぶらり大人の廃線旅 第4回
井笠鉄道記念館となった新山駅
しばらく歩くと、ほどなく廃線跡が左へ分かれていくが、痕跡はない。再び新道に合流して信号のある交差点を過ぎると新山(にいやま)駅の跡地だ。ここに「笠岡市井笠鉄道記念館」があることは広島市在住の読者の方に教えてもらった。そうでなければ炎暑の中を新道と一緒になってしまった道路を歩くのに耐える理由などない。屋根は補修したようだが、現役時代そのままという下見板張りの駅舎を見ると、やはり軽便鉄道の駅舎である。待合室には現役当時の各駅の写真が掲げられ、またその頃に駅で使われていた各種の器具も陳列されている。急行を表わす「急」の丸いヘッドマークもあった。昭和27年(1952)6月1日から同31年にかけて笠岡〜井原間に1日1往復運行されたと説明が付いているから、まさにその頃が井笠鉄道の「黄金期」だったのだろう。
鬮場駅の写真もある。懐かしい形の電話ボックスと何台もの自転車、それに意外に広い駅前広場が乗降客の多さを物語っている。先ほどプラットホームの痕跡があった小平井駅は、先ほどの駅舎の前に待合室もあったようで、そこでお母さんらしい女性と、低いホームから身を乗り出して線路を見ている幼い兄と妹らしい家族が写っている。昭和46年(1971)頃の写真というから、兄妹どちらも今は50代だ。
表にはかつてここで運転されていた蒸気機関車と客車、それに貨車が連結された状態で展示されていた。屋根もあって保存状態はとても良く、45年の歳月が経ったとは思えない。鉄道車両を往年の状態できちんと保存するのは、想像するより大変なコストと手間がかかるもので、多くの保存車両が雨ざらしで悲惨な姿を晒しているのを知っているだけに、関係者の方々の努力がしのばれる。実際に炎暑の中でメンテナンス作業が行われていた。井笠鉄道はしばらくバス会社として存続していたが、最近になって路線バス事業から撤退、ほどなく破産したため、今は笠岡市が運営しているという。
大切に磨かれた103年前の蒸気機関車
客車の「ホハ1」は定員がわずか26人というミニサイズで、中へ入ってみると膝を突き合わせて乗る感じだろう。遊園地のオトギ列車のようなサイズである。実際に蒸気機関車の1号機はかつて埼玉県の西武山口線(おとぎ電車。西武遊園地前〜ユネスコ村)でしばらく走っていたこともあった。ドイツのコッペル社(Orenstein & Koppel Arthur Koppel A.-G.オーレンシュタイン&コッペル、アルトゥール・コッペル株式会社)製の小さなBタンク(動輪2つ)は今やピカピカに磨かれ、今にも走れそうに見えるほど。銘板には製造年の「1913」が記されていた。まさに開業時に導入した機関車である。
記念館では現役当時の切符(もちろん硬券)などが売られており、それを数枚と地元の三笠博通さんによる油彩の画集『懐かしの井笠鉄道』をお土産に購入した。ここから先は井原まで半分以上残っているが、地図学会の「夜の部」に出なければならないし、またとにかく暑いので、矢掛や井原の方はまたの機会にしよう。
それにしても、大事に保存されている車両と駅舎が見られたのは嬉しかった。冷房の効いた帰りのバスのありがたかったこと。平仮名になった「くじば」を通り過ぎて笠岡駅へ向かう。
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